サムライ
T0P/ MUSIC ESSAY/KINKYO
〜元祖「ナルシスト」〜
沢田研二 1978
GUESTBOOK/BACKNUMBERS
筆者は沢田研二を素敵だと、全盛期を過ぎた今でも思っている。最近はあまりないけれども、それでも彼がテレビに出るといったら欠かさずに見るし、新譜も出来るだけ聴くようにしている。久しくヒット曲も出ていないが、彼のリリースする曲は皆いつも新鮮で、アグレッシヴで、意欲的である。昨年でた新譜「サーモスタットな夏」も、かなりサウンドを立てたアレンジで、「MUSIC FAIR」で唄っていたときも、ヴィジュアル的にも見ていて「ジュリー健在」を思わせてくれた。小さい頃からのジュリーは、少しづつ様々に模索しながらも、まだまだ健在である。
ジュリーを真似て、母の化粧箱から化粧用具を引っぱり出してきて、イタズラして怒られたこともある。マッチや、田原俊彦が出てきてもなお、筆者の中でのNo.1は、いつも沢田研二だった。そのくらい、影響力が強かったのである。筆者にとって。
センセーショナルな歌詞、パラシュート、シースルーのギター、煙草など、幼い僕にとってわくわくするような仕掛けを、沢田研二はいつも持ってきてくれた。ザ・ベストテンで、雨に激しく打たれながらマイクを持たずに唄っていたのも、衝撃的だった。そういった意味で、この「サムライ」も、文句なしにカッコ良かった。ジュリーはこの唄を(確か夜のヒットスタジオで)畳のセットの上で唄っていた。短刀を振りかざし、タトゥーが一般的でない時代に、薔薇の柄の入ったシースルーのシャツ(というかタイツの地で出来たようなもの)を着て唄っていた。前述のベストテンのようにマイク持たず、である。この演出にも、僕は半ばあっけにとられながら、見ていた。唄が終わり、「決め」のポーズの時、ジュリーはカメラに短刀をかざす。それが照明に反射してきらきらと光る。とにかく、カッコ良かった。
彼は自らの唄う姿にいつも「美しさ」を追い求めているような気がする。それは、「ナルシスト」に近い考えに基づいているのかもしれない。彼が、現在「昔の唄」をTVで唄うことを拒否し続けているのも、そういう意味があるのだろう。今のオレを見てくれ、その姿勢には、拍手を送りたい。そして、ジジイになっても、走り続けて欲しい。
ぶんせきは
KENTARO