「Love is...」 T0P/ MUSIC ESSAY/KINKYO
〜ENERGYの低さ〜
河村隆一 1997
GUESTBOOK/BACKNUMBERS
今回は超重箱の隅つつきモードである。お許しあれ。
昨年、河村隆一がソロで活動する、と聞いて、おっと、と思った。あの時点でのLUNA
SEAの売れ具合から考えると、そうそう大当たりするとは考えられなかったのである。むしろ、このままLUNA
SEAとしてコンスタントに活動を続けていた方が、ビジネス的には成功するんじゃないだろうか、と思った。筆者はその当時、多くの「河村隆一」が導入となってにわかLUNA
SEA肯定派になった人たちのご多分に漏れず、「河村隆一」に関して、そのルックス、声、そのくらいしか知らなかったのである。彼自身のあのキャラクターに関しては、微塵も知らなかった。あとあと思うと、売れてなるほど、という感じも否めない。
今回、サブタイトルに書いた「ENERGYの低さ」とは、それまでの時流とは一線を画して、彼のこの唄や一連のシングル「GLASS」「BEAT」の性的エネルギーが非常に低く感じられるという点に気付いた所からくるものである。断っておくが、これはあくまで唄の世界の中のハナシである。(あたりまえだ)彼自身が男性としてどうなのかは、寝てみないと分からない。
概して、恋愛の歌っていうのはその唄にでてくる男と女の間に、性交渉(この言葉、好きなんですよ。HとかSEXとかいってしまうと、身もふたもない)の形跡があるかないか、で2つに分かれると思う。つまりは、河村隆一の一連のシングルは、その後者の方に当たるのではないか、と思うのである。後者の要素の強い唄が日本を席巻していた70年代後半〜80年代前半の反動からか、80年代末、バンド・ブーム以降の日本のヒット曲の多くは前者の要素がかなり強い。そして、90年代に入って、ますますその傾向は強くなるばかりであった。ジャニーズのグループは、光GENJIの頃まで、頑なに前者の路線を守ってきたが、SMAPによって後者の要素も取り入れられるようになって、性交渉の形跡アリアリの唄がヒット曲のほとんどをしめるようになった。オザケンなんかは、なかなか難しいラインだが、それでも、唄の中に生活が見えてくる(「愛し愛されて生きるのさ」など)ぶん、そうした形跡が感じられないこともない。
そこで、「河村隆一」である。この「Love is...」をはじめとする彼のシングルは、「抱きしめる」なんて言葉がでてきても「抱擁」以上のコトは想像できないような気がする。それまで、ヴィジュアル系と呼ばれるバンドの中でもGLAYをはじめとする比較的性交渉の形跡の見られやすい唄を唄うバンドばかりブレイクしていったが、河村隆一の出現によって、その後前者の方に属するバンドの唄の詞に対する免疫を人々が形成していったのではないか、または、今までなにかと肩身の狭い思いをしがちだった前者に属する唄を唄うミュージシャンにとって、シーンにでて来やすい素地をつくったともいえるのではないか、なんて考えるのである。SHAZNAやラルク、SIAM
SHADEなんかは結構そっちに近いのかもしれない(ヒット曲としてのシングルでは、だが)。
その河村隆一が、LUNA SEAとして活動を再開する今年、「やった唄」と「やってない唄」(下世話な表現ですが)の割合は果たしてどうなるのだろうか。いずれにせよ、河村隆一が昨年、日本のミュージックシーンに与えた影響というのは、そんな面でも大きいのではないか、と思うのである。
ぶんせきは
KENTARO