「ラブ・ストーリーは突然に」 T0P/ MUSIC ESSAY/KINKYO
〜「詩」たる恋愛、散文として凋落す〜
小田和正 1993
GUESTBOOK/BACKNUMBERS
稲垣足穂という人がいる。足穂自体のことは、筆者は余りよく知らないのだけれど、中島らもの何かの本の中に、足穂のこんな言葉が紹介されていた。
「結婚するということは、恋愛という<詩>から日常という<散文>へと下っていくことである。」
確かに、この言葉は恋愛から結婚へと移る過程を言い当てている、なかなか的確な表現だと思う。また、足穂は、別の所でこんなことも言っている。
「詩というのは、歴史性に対して垂直に立っている。」
これを、前言を踏まえると「恋愛は、歴史性に対して垂直に立っている。」とも言えるだろう。そう考えると、中島氏もその本の中で指摘していたけれど、「恋は一瞬のもの」なのかもしれない。足穂は、「結婚」を「日常」としていたけれども、恋愛の過程でも、付き合いだした、或いは初めて言葉を交わした、その時点から、「日常」というものは入り込んできてしまうのかもしれない。結婚して、何十年と一緒に暮らして、幸せだったかと聞かれれば、まあそれなりに幸せだったと答える人は多いだろうけれど、それは、会社の収支決算が黒字になったようなもので、「恋愛」としてお互いの気持ちが純粋に生きていたのは、ほんの一瞬なのかもしれない。
そういった、ある種人間が日常のしがらみから離れる瞬間が、恋愛の過程にはあるのだけれど、中島みゆきの「あの娘」でも書いたが、中島みゆきという人はこのような瞬間のうち、「陰」の瞬間を描く達人であると書いた。今回の、小田和正という人は、その反対、「陽」つまり前述の足穂のいう「恋愛が歴史性に対して垂直に立つ」瞬間を描き続けているミュージシャンである。もちろん、彼には「さよなら」「君が嘘をついた」など、別れの曲も多い。オフコース時代のヒットはむしろ別れの曲が大半を占めているといっても良いかもしれない。しかし、オフコースを解散し、ソロになってから、その様相は変わったような気がする。前にも増して、「空が君で、風が君で、太陽が君で、愛が君で」的な唄が急速に彼の中で存在を増してきたのではないかと想像する。事実、シングルとしてリリースされる唄にそうした「陽」の瞬間を描いている唄が多くなっている。
この「ラブ・ストーリーは突然に」は、「たいやきくん」以来のダブルミリオンヒットであった。それは、これが主題歌となっていた「東京ラブストーリー」が大きなセンセーションを巻き起こしたからでもあるが、このドラマにしろ、そしてこの唄にしろ、非常に「劇的」な部分が目立つものだった。とくに、この唄の歌詞や、ドラマに出てくるセリフなど、一般人が日常の思考では決して口に出すことのないものが多い。この唄の歌詞通りの人間がいたら、全くもって周囲にとってはメーワクな、公害的人間になりかねない。ここが、この唄の「歴史性に対して垂直に立っている」部分である。
それにしても、小田和正氏は結婚もしているし、家庭があるということである。つまり、彼の中では「詩」としての恋愛は、とっくに「散文」として凋落しているハズなのだが、よくもまあこんなにみずみずしい詩が書けるものだなあと、いつも不思議に思う。なにかこう、秘密兵器でも隠しているんだろうか。
ぶんせきは
KENTARO