「銀座」 T0P/ MUSIC ESSAY/KINKYO
〜ニッチからメインストリームになれるか?!
古内東子 1998
GUESTBOOK/BACKNUMBERS
なかなかブレイクしない一人である。というか、もうこれ以上は爆発的には売れないかもしれない。毎年毎年(というかここ2年くらい)「今年ブレイクしそうなアーティスト」に挙げられるものの、着実にファン層を広げてきてはいるが、爆発の気配は見られない。一昔前ならば、この手の、「ちょっとオトナっぽいアーティスト」は、作詞作曲力が備わっていれば引っ張りだこだったんだが(もちろん古内東子はその点文句なしだと思う)、最近の、市場のオコサマ化というか、CDの主力購買層の低年齢化によって、チャートアクションはそう目立ったものではない(「大丈夫」もスマッシュヒットで終わっている)。それは男性アーティストの中の斉藤和義・スガシカオ等にも言えることである。
今回、「銀座」という曲を出してきた古内東子を見て、筆者は思わず「ふぅむ」と思ってしまった。彼女の唄の世界、彼女が描いていく女の人というのは、街にして言えば「渋谷」でもなく「六本木」でもなく、もちろん「新宿」や「蒲田」でもなく、「銀座」の人という感じがするのである。もちろん、銀座に住んでるっていうのではなくて、行動範囲の中心が、なんとなく「銀座」って感じだなと、前から思っていたのである。それにドンピシャリの唄を出してきた。やっぱり古内東子自身も、そういう要素のある女の人なのかもしれない。
見てくれはアグレッシヴ、生活スタイルも一見先進的、洗練されているものでないと許せないのだけれど、心の奥底を形成する深い部分は実は案外保守的だったりする。そんな女性の像は、世の中にいっぱい転がっている。だから、比較的古内東子は彼女と同年代のファンをたくさん持っているようである。まさにオトナの等身大シンガーといえよう。ZARDではちょっと爽やか、「青春」すぎ、大黒摩季ではその「情熱」っていうか、「肩に力はいっちゃってる感」を白々しく感じてしまう人々、これは隙間(ニッチ)ではなく、案外多いんではないかなと思ってしまい、筆者はいまだに古内東子が大ブレイクする可能性が否定しきれないでいるのである(まあ世の中にはオトナになりきれない人もたくさんいるしね。20代も半ばになってSPEEDで盛り上がれるお幸せな人もいるし)。
ミュージシャンとしての古内東子は、どうか。はっきり言って、独断と偏見だが、コード進行とか、コーラスの入れ方・フレーズとかがめちゃくちゃ筆者好みなのである。相当いろんな音楽を消化している方と見えて、様々な要素を容赦なく使ってくる。それでいて、さらさらと聴きやすい。古内東子は、カオは派手だけど、子供っぽい音楽に辟易しちゃった人には、オススメである。けっこう、聴きやすい。癖がないし、この詩の世界は「ふつう」を自認している人なら、ハマれます。
ぶんせきは
KENTARO