「花〜すべての人の心に花を〜」 T0P/ MUSIC ESSAY/KINKYO
〜カバーの妙〜
various artists
GUESTBOOK/BACKNUMBERS
いろんな人がカバーしているこの「花」。もともとは喜納昌吉の作・演ずるところだったわけだが、なかでも石嶺聡子、おおたか静流のカバーバージョンは有名である。この唄の良さは、詞が言葉として心に響くことと、そのメロディーがいわゆる旧来の日本の唄とはちがう、沖縄のテイストにあふれたものであることの二つが組み合わさって、小さくまとまった感じのない悠然とした印象を聴いているものに抱かせる点にあるのだと思う。それが、長い間いろいろのアーティストをしてこの唄を唄いたくさせた所以だと思う。
石嶺聡子の「花」は、しかし僕にいわせると少し「違うな」と思わせるところがある。それは、彼女の歌声が勝ちすぎているのだと思う。彼女がNHKのオーディション番組に出てきたとき、偶然それをみていたのだが、いわゆる普通の日本の「ポップス」の様なものを、圧倒的な歌唱力で唄いきってしまう彼女は、他のどの面々と比べられないほどの存在感があった。しかし、この唄の歌唱ではその「存在感」がジャマになってしまっているのだと思うのである。彼女は確かに今でも日本のポップス界において相当高いレベルの歌唱力の持ち主だと思う。しかしその普遍的な歌唱力と、あまり他の歌い手とかわりばえのしない声が、僕に「違うな」と思わせるのであろう。
僕の「花」の歌唱のベストは、おおたか静流のものである。この人の声は、おそらく一度聴いたら忘れられない、好きな人ならばこの声自体を「芸術」といいきってしまう程のインパクトがある。それ故に、この人の声を受け付けない人も相当いることは予想できる。しかし、この「花」のような唄を唄うときには、その彼女の声のおおらかさ、そして時に見せる無機質さ、無国籍さが非常によくマッチしているのである。「花」という唄は、単に唄うというのではなく「唄いあげる」という感覚の方が聴いているものを動かすのではないかと思う。おおたか静流の歌唱は、この「花」の為にあった、そういってもおかしくないくらい、この唄に彼女の声は似合っているのである。こういうことが起こりうるのも、いろいろな人のカバーを聴いてみる、一つの楽しみだと思う。
ぶんせきは
KENTARO