「J-ENKAの行く先」 T0P/ MUSIC ESSAY/KINKYO
GUESTBOOK/BACKNUMBERS
演歌は嫌いだ。プロフィールにも書いたけど。大体なんで演歌の歌手だけがでかいツラをしているのかわからん。野口五郎が最近出した本「芸能人はなぜ老けない」でも、(たとえ野口より年下でも)演歌の歌手はデビューしたてのころは自分のことを「野口さん」と呼んでいたのに、じき「野口クン」になり、最後は「ゴローちゃん」になるんだと書いていた。「演歌こそ日本のこころ」だという人がいるが、所詮は西洋音楽の変形である。だいたい、演歌の起源は明治時代の演説歌にあり、それが「演(艶)歌」と変形して男や女の「情」を唄うようになったのだから、他のポップスに比べりゃ歴史は古いにしても、「演歌こそ日本のこころ」とは少々言い過ぎだと思う。「日本のこころ」というのがあるのかどうだかも自分にはわからないが、あるとすれば民謡や雅楽であって、演歌にそんなもん簡単に名乗られたくないって感じである。また、「演歌のヒトは唄が上手い」というヒトがいるが、あれは「演歌が上手い」だけである。演歌のヒトがポップスを歌っているのを見ても、お世辞にもうまいと言える人は少ない。結局演歌になっている。ジャンルが違うのである。陸上の伊東が西武の松井に向かって「オレはオマエより脚が速い」と自慢しているようなもんだ。
ここのところ、演歌のビッグヒットが出ていない。特に男性歌手にその傾向が顕著で、全くと言っていいほど売れていないのだ。オリコン・チャートの左半分に顔を出す歌手がちらほらいる程度で、トップ10に演歌が入るなど、自分の記憶では堀内孝雄の「恋唄綴り」以来ないんじゃないだろうか(もっとも、これを演歌とするかどうかは議論が分かれそうだが、本人が「演歌」と呼ばれることをやぶさかでないと思っているようなので、いちおう「演歌」としておく)。女性歌手は何とかがんばっていて、伍代夏子や藤あや子、去年は川中美幸もがんばっていたし、天童よしみもそれなりのセールスはあげている。数十万枚級のヒットは飛ばしているのである。しかし、いずれもTOP10入りになるほどのビッグヒットにはなっていない。しかし、男性陣と女性陣の差は開く一方。これは「艶」歌としてのマーケットが相当あって、女性の唄う唄が売れやすいということがもっとも大きい。きれいなオンナにゃやっぱり弱いっていうのがあるだろうし、何より若手の実力派が女性歌手ではどんどん育っているようだ。その点、男性歌手には魅力がゼロである。ベテランは過去の栄光にすがっている姿アリアリだし、新しいことに挑戦しようとしても、女性の美しさって奴には勝てないのか、「演歌のヒトが何か変なコトしている」って感じで結局ピエロである。若手も名を売ろうと必死になっているが、結局香田晋である。
こうした「女性上位」の構図は、一見ポップスの世界と相通じるように見えるが、自分はそうは思わない。ポップスではいいものは男性のピンものでもやっぱり売れている。山崎まさよしなんかはそのいい例であろう。ポップス界の「女性上位」というのは一過性のものだと思う。そのうちまた違う時代が来るんじゃないかと、一種の流行のような目で見ている。しかし、演歌は違う。女性の演(艶)歌はいつの世も、比較的多数の男を惹き付けていける。艶っぽさは永遠である。しかし、男性演歌には限界を感じる。それは、唄の世界がなんといっても第一次産業的なのである。経済大国になった日本で、一次産業人口の減少が、いまこうしたかたちで男性演歌に影響を与えているのだと思う。「漁師の男の格好良さ」に惹かれる人間の数は今や激減している。そうして、一次産業を知らずに育った、戦後生まれの本来ならそろそろ演歌世代に入ろうというおばちゃん達は演歌に寄りつかず、結果的にジャンル違いのSMAPにマーケットをとられるかたちになっているような気さえするのである。
「紅白」「レコ大」などの中で、弱体化しつつある演歌、特に男性演歌をメディアも甘やかし、何より本人達が過去の栄光にすがっている(というより、すがる以外方法はないのだが)姿を見るにつけ、今までの形態での「演歌」の終焉が近いことを確信してしまう。演歌はどこへゆくのだろうか。ただ、「演歌こそ日本のこころ」なんていうのはとんでもなく、西洋音楽が日本に流入してきたのに伴って出来た徒花的ジャンルであるというのは、間違いのないところだと思うのだが。
ぶんせきは
KENTARO