「抱いてHOLD ON ME」 T0P/ MUSIC ESSAY/KINKYO
〜等身大のプロデュースの新鮮さ〜
モーニング娘。1998
GUESTBOOK/BACKNUMBERS
日記を読んで下さっている方にはわかっていただけると思うんですけど、この曲、バイト先でよく流れるんですよねえ。とにかく、耳にたこができるくらい。数回聞くと、覚えてしまうくらい単純。ヒット曲の必須条件は揃ってますね。「いかにも」のあざとさが逆に心に残ってしまう要因となっているのでしょう。
これを書くまえに、自分は「モーニング娘。」の事はよく知らないので、いかに楽曲のエッセイとはいえ、少しは調べてみにゃあいけん、と思って関連のサイトをYAHOOで検索して見て見たのですけれども、何だかひと悶着あったみたいですねえ。5人だったメンバーが、いきなり8人に増員されてしまったと。当初、このモーニング娘というのは、つんくプロデュースのロックヴォーカリストを選ぶASAYANのイベントで最終選考に残った人たちで、デビューするためにCDを50000枚売ってデビューを勝ち取った経緯があるらしいので、そのCDを買った人にとっては、なんの苦労もしていない残りの3人が、「軌道に乗った」現在のモーニング娘に合流するなんて、許せなかったのでしょう。これが原因で、閉鎖してしまったサイトもあるようです。まあ個人的には、メジャーデビューした時点で「魂を売った」ってことですから、特に他人様にプロデュースしてもらっている以上、どういじられても文句を言うことは出来ないとは思いますがね。確かに、ファンの気持ちを踏みにじった行為ではあるけれど、そういうものを切り捨ててもやっていけると思ったんでしょう。しょうがない、の一語につきますね。
さてさて、基本的には前作「サマーナイトタウン」を継承した作りになっているようで、あのわざとらしい「ため息」も乱発していますが、ここまでやると聴いてる方としても許せてしまう気がしますね。少なくとも、日記の方でも書きましたが、普通のヒトが「ミュージシャンヅラ」して大手を振って生きていけるこの音楽シーンの中で、かえって新鮮にさえ見えます。思えば80年代から90年代の初頭にかけてはこういうのが全盛でしたけれども、いわばアイドルの先祖帰りとも言えるものでしょう。ラップっぽい歌詞なども入れたりして、「今」も切り取って見せているところもありますが、基本線としては「ミュージシャン」ぽいものとは全く対極のものだといえるでしょう。制作側も、そういうラインを狙って力一杯直球を投げ込んでいるので、見ていて気持ちがいいです。
曲の質も、そういう意味で非常に良くできています。曲構成は簡単に、スーパーで買い物しているおばちゃんでも、この曲が大ヒットしてヘヴィーローテーションで有線からテレビ、ラジオに至るまでかかりまくっていたら、買い物ついでに鼻歌のレパートリーとして登場しそうなくらいのメロディーラインです。特にサビの「抱いて抱いて抱いて、Ah-」のところなどはそんな感じですね。単純さがいいです。いさぎよさを感じてしまいます。少なくとも、最近のさえないシャ乱Qの歌なんかよりはずっと存在意義がはっきりしていて良い。
どうやらこの曲、オリコン等の各種チャートで1位を獲得したようですねえ。売れてくるとますます「アタマの中グルグル度」が上がってきそうな感じがします。さしてこういうもの(女の子ものです)にのめり込むことのない自分で聴いていて、やっぱりこっちの方がSPEEDよりも圧倒的に魅力を感じてしまいます。ムリして背伸びをしようとしている(しかもそれが「技術的には」ウマい)SPEEDよりも、自分のパーソナリティー等はともかくとして、俗物、色物に挑戦しようという、自分より明らかに目線が下のものに挑戦しようというほうが、見ていて素直におもしろがることが出来ます。SPEEDに限らず、最近の「プロデュースもの」は、歌っている本人にその本人の能力やキャラクター以上のものを要求しようとして、結果的に無味乾燥、歌っている本人が聴いている消費者サイドからして「イメージがわかない」という状況に陥っているものが多いような気がします。(ないしはミョーに説教臭い歌が出来上がる)楽曲以外のところでの話題性として、売れる要因がルックスもしくは「いわく(つまりは華原朋美と小室哲哉がなんの関係もない2人だったら・・・・ということ)」になってきてしまっているということですね。
今はこの女性シンガーに限らず、全体的に歴史的な「楽曲不遇の時代」のような気がします。雨後の竹の子のように出てきているバンドにしてみても、楽曲ではなくルックスや技術がメジャーデビュー、はたまたヒットの主な要因になっていますし。売れているGLAYにしても、僕が聴いて思うに限りなくメロディーラインの引き出しの少ない人々なんだなぁ、これがプロかぁ、なんて思ってしまいますからね。自分の知っているちょっと良さそな(素人レベル)のコード進行やメロディーラインを組み合わせて作っているという感じだし、歌詞の書き方もそんな感じ。素人に理解できる曲作り、それは大事なことなんだろうけど、そのためにはプロにしか思いつけない味付けが必要なんじゃないかなあ。作る側が最初から最後まで素人レベルでつくってたんでは、歌い手なんていらないでしょう。素人が簡単にコピーできてしまうような楽曲が(GLAYに限らず)世を席巻しているという、じゃプロとしての存在意義とはなんなのかと思ってしまいますね。そこがなっていないから、今ヒットを飛ばしているアーティストでサザンやB'Zのように、長く飽かれずにやれる人たちを捜すのは難しいですね。メロディーの引き出しが少ないヒトもそういう「長寿アーティスト」のなかにはいますが(B'Zのことをいっているのですが)彼らはそこのところうまく「ギターのなんだかよくわかんないけど迫力あるぞ感」と「読ませる歌詞」で引きつけてきた、これも方法ですね。せいぜい、globeくらいでしょうか、残っていけそうなのは。でもわかんないね、今のヒト達は、歌詞読まないし、曲聴いてないし、カラオケのためだけにCD買うし。
その点でも、やはりこの「モーニング娘。」は素材が限りなく「素」だったし、先導する「ASAYAN」自体が「素」な番組だったからからこそ、プロデュースする側も背伸びさせようとかそういうよけいなことを考えず出来たんだと思います。この曲は数ある現在の「プロデュースもの」とはそういう意味で違っていると思うし、だからこそ新鮮でいい楽曲が出来たのだと思いますが。
昔のアイドルポップスと比べると、「愛のない男ね」なんて歌っちゃうあたりが、時代の流れを感じますなあ。
ぶんせきは
KENTARO