「こんな風にして終わるもの」
〜予防薬と処方箋〜
小谷美紗子 1998

T0P/ MUSIC ESSAY/KINKYO
GUESTBOOK/BACKNUMBERS


いタイトルだな、と思った。小谷美紗子の10月21日に出たばっかりのニュー・シングルである。小谷美紗子はここのところ注目を集めているアーティストの一人だが、そう自分は今まで肩入れして聴いていなかった。一時期話題になった「STONE」にしても、個人的にこういうシンプルな感じの曲は好きだが、このご時世に脚光を浴びうるものかというとそうでもないと思った。なにしろ、僕の友人で小谷美紗子の曲を好きな人がいるのだが、クルマの中でかけていて、「へ〜、こういう昔の曲も聴くんだ」といわれてがっかりしたという話も聞いたことがある。なるほど、ちょっとアナクロ的な音の色といい、どことなく70年代的なものが感じられるという気はする。最近は、売れている音楽の一群が非常に画一的になってしまっているため、思いきり現在の時流から外れたものならば、クオリティはどうあれ新しもの好きの人々が飛びついてきてまとまったセールスを残すといった図式が成り立ってきてしまっている。それが、「ゆず」であり、「及川光博」であったりするわけだ。様々な音楽が脚光を浴び、多くの人に聴かれる機会に恵まれていくというのはいいことのようにも思われるが、やはり「質」がついていかないと売れてしまうミュージシャン自身が気の毒な目に遭うのは明らかな気がする。とくに前出の「ゆず」に関してそういう感じがするが、まあそれは別の機会にでも書くことにしようと思う。そういう音楽状況の中で、小谷美紗子はまだ規模は小さいながらも、確実にファンを増やしていると聞く。

前置きはここらへんで

「おねがい あの 場所だけは 新しい彼女を連れていかないで」

の一行で始まるこの唄。こういうのを聞いたときに、普段感受性が鈍いように装っている自分の弱みをつかれたような気になる。字面だけで読むと、よくありげなフレーズ、言ってみれば使い古されたフレーズかもしれない。しかし、曲を聴くとこの字面以上の意味を受け取ることが出来る、いや、字面の意味は変わらないまでも、その意味は強くなり、人の心の扉をたたく。それは非常にシンプル、かつ鮮明でない素朴な、まるで音楽室で演奏しているような雰囲気が良く出ているピアノが脇役として、歌詞の意味をより純粋に伝えてくれることも大きい。

の唄を唄っている、女の方が振られたのか、合意の上での(まあ大概どっちにしろ合意の上なのだが)別れなのか、おそらくは前者であると思われるが、振られた側の内面を、見事に映し出している唄だといえる。どこか淡々として、しかしそれは自分を「振った」であろう相手への気遣いとも取れるのだが、むき出しの激情をみせないのである。作者の小谷自身は雑誌のインタビューの中で、この唄は「恋愛が幸せな局面に立っているときにあえて出す予防薬のようなもの」だといっている。「別れるときにはこうなるのよ」という相手側への戒めであり、また自分にとっての戒めとも言えるのだろう。とにかく、恋には終わりが来る。そのことを題名通りいちばん伝えたかったのであろうし、それはこの唄を聴いているとよく伝わってくる。

う一つ思ったのは、最近世を席巻している恋の歌の多くが「かっこつけている」ことである。別れを語るにしても、思いを語るにしても、人前になかなか出せない自分の本当の心の中や、二人の中の内情などは「なかったこと」として堅いベールに閉ざされている感じがする。この唄には「お揃いのコーヒーカップ」などという、人に知られたらあんまりかっこよくない二人の恋の内情がさらけ出されている。だれの、どの恋の中にも一つやふたつ、そうしたかっこわるい部分があるものである。この小谷の唄の中の二人だけがかっこわるいわけではない。誰にでもあるものなのである。そこを切り取って見せた、ということは、「かっこつけている」唄の氾濫する中でとても新鮮である。それがうまく伝わっているのは、やはり小谷の作詞力の賜物だと言わざるを得ない。

ういう失恋ソングは、恋愛の経験がなく、惚れたの別れたの振られたの振ったのという実地経験がないうちは、失恋した側、つまりは振られちゃった側が共感して聞くようなもんだと思っていたし、自分が振られちゃったときに、こういう唄が流れてくるのをふと耳にするとこたえるんだろうなあ、などと考えていたのだが、大人になって、一通りのそういう実地経験を過ごしていったあとになって、こういういわゆる「鬱」で言い方を変えると「純」な失恋ソングを聴いてしまうと、別れを切り出した方だからこそ、こたえるものがあるのだなあ、と思ってしまう。別れを切り出した相手、振ってしまった相手の心の内を見せられているようで、何ともやるせない、やり場のない気持ちになってしまう。とくにこの唄は、振ってしまった、別れを切り出してしまった自分に対する相手の気遣い、ムリに気丈に振る舞ってしまったりする心遣いも見えてくるため、そういう気持ちに陥ってしまう、今まで相手に自分がしてきたことを振り返ってしまう気持ちが強くなるのかもしれない。この唄、小谷自身のいう「予防薬」というだけでなく、恋に疲れてしまった人の「処方箋」ともなり得るのかもしれない。別れていってしまった人を思うことは、もっと自分が幸せになるために、けして無駄なことではないのだから。



ぶんせきは
KENTARO