「レイニーブルー」 (6/4)
徳永英明 1986
T0P/KINKYO / BACKNUMBERS /


もうすぐそこまで、梅雨がやってきている。これを書いている2、3日後には、関東地方も梅雨に入るのだと、今朝の天気予報ではいつもは甲高い声のJ-WAVEの専属お天気アナウンサーが、若干神妙な感じに声を落として言っていた。どちらかと言うと僕は、雨になると憂鬱になるほうで、体調も良くなくなったり古傷が痛んでしまったりするのだが、しかしいわゆるオトナというものに近づくにつれて、これもバカみたいに暑い季節への玄関口だと思うと、雨は雨の風情としてそれなりに愉しむことができるようになった。

以前、日記か何かで「雨に似合う曲」のことを書いた。斉藤和義の「Rain Rain Rain」や、「雨に唄えば」みたいな曲を例に出しながら。この「レイニーブルー」も雨にちなんだ佳曲の一つだ。

徳永英明の声や、風貌を思い浮かべると、まずお天気男という感じではないが(実像がどうかはさておき、あくまでイメージ、である)そうした少しの湿っぽさやあるいは艶っぽさや影、そして独特の、男っぽくないハスキーボイスはこの曲のイメージにとても合っている。他の人がこの曲を唄っている姿は、余り想像ができない。この種の声は、ありそうでなかなかないのである。そして、この声を持ったシンガーが、一時のものめずらしさではなく、コンスタントに人気を得ているということもまた尊いことであると思う。

この曲は、徳永英明のデビュー曲である。である、と知った風に書いてしまったが、このことはこのエッセイを書くにあたっての下調べで初めて知ったことで、僕は徳永がヒットを続けていた頃の一連のシングル作品の一つだと思っていた。実際にはそうではなく、あの「輝きながら・・・」よりも前に世に出た作品なのである。僕はそれほど彼の唄を聴き込んでいる、いわゆる「ファン」という奴ではないので、逆にこの曲の力を思い知る形になった。時の流れを逆流して、ブレイク以前の曲が(実際セールスにつながらなかったとしても)ある程度の定評を獲得するのは、やっぱり楽曲が良質なものであるという証拠である。実際、アーティスト側もそれを感じ取っているのだろう、この曲は後にリメイクされシングルとして発売しなおされている。こういう過去の楽曲の自然な形の再評価は、一昔前のチャゲ&飛鳥でも見られたことである。このときは、ベスト盤や再発したシングル盤のヒットという、「実益」も兼ねていたわけだが。

この、「レイニーブルー」はデビューとしてはかなり地味に見える楽曲だが、しかし徳永のよさが遺憾なく発揮されている、デビューにしては曲と演者が一体になっている好例である。徳永は、特に一人称が「あなた」の曲を歌わせてかなりハマっている男性シンガーである。最近では、平井堅なども「あなた」が一見似合いそうな感じがするが、少々色が強すぎる感がある。女性から見たセクシーを取るなら後の平井だが、さらりと「あなた」をこなすなら徳永のほうではないだろうか、と思う。

この曲は、雨に濡れた歩道や少ししぶきを上げながらヘッドライトをともして通り過ぎてゆく車、そして少し背中を丸めながら歩く姿などがぱっと光景として頭をよぎる。風景描写力は抜群である。そうしたおぼろげな風景のイメージの中、

私も今日は そっと 雨

というフレーズでこの風景の全てをストップモーションとしてカプセルに詰めてしまう。その止められた風景は、「レイニーブルー」とラベリングされ、聴く者の心に刻み付けられるのだ。最後のサビのリフレインは、そうして刻み込まれた風景ごと、繊細さと強さと感情の起伏の機微の微妙なバランスで成り立っている徳永の声をもって聴く者の心の中で響き渡ってくる。

この曲、詞作は徳永自身ではないが、後年このカラーを継承したともいえ、また彼をもう一歩大きく高いステージに押し上げた「壊れかけのRadio」を徳永は自分の手で生み出すことになる。伏線というとかなり言いすぎだが、ブレイク後リスナーの間では再評価が起こり、そして徳永英明というアーティストに1作目にしてカラーを植え付けた、意義深い作品なのである。



ぶんせきは
KENTARO