MY FAVORITE ARTIST SPECIAL「崎谷健次郎」 T0P/ MUSIC ESSAY/KINKYO
崎谷さんは、作りの良いタンブラーのような、
強さと繊細さが入り交じった
ポップス・アーティストです。
ピアノの音色を中心とした、
少々クラシカルな雰囲気をもった曲が多く、
清涼感にあふれ、
落ち着いて聴ける、
大人のポップスを提供し続けています。
GUESTBOOK/BACKNUMBERS
「あじさい」(アルバム「Holidays」収録)
「あじさいのような女」というのは、なるほど、存在すると思う。そうして、それと同時に「あじさいのような女」を好きになる男というのは、結構多いのではないかと思う。ならば、この歌のなかで歌われているように、
きっとみんな道端の君に気付かない
なんてことはあまり、起りえないと思うし、実際問題として本当に「きっとみんな道端の君に気付かない」様な女というのは歌にはならない。
「あじさいのような女」は、控えめである。派手さがない。余計な自己主張もしない。字面だけ並べるとなんともつまらん女のようになってしまうが、そこでつまらん女になってしまっては、「あじさい」でもなくなってしまう。要は、そうした下地の上において、どうやって「意外性」をつくっていくかが勝負だと思う。そうすると、一緒にいる男というのは、そうした「他人」から見たらわからないような彼女の「意外性」を、自分だけが知っているような気になり、それだけで彼女といる時間、そして一緒に歩いている時間に大きな意味が現われてくるという寸法である。
しかし、往々にして「余計な自己主張のない、控えめな女」というのは、そうした「意外性」によって相手の男に大きくアピールしたとしても、「つまらん女」と思われてしまってすぐに「飽きられる」という結末に達することも多い。また、その意外性が生きていて、「控えめだけど一本筋のとおっている女」という、一見プラス材料に感じられそうな(たしかにプラスなんだけど)人も多くいるが、そうした女の場合、何せ自己主張の術に長けていないために、男に対する不満、自分の思っていること、そういったものが心の奥底にたまってしまうような気がする。男が普段と変わらない女の様子に安住しきっていると、いつの間にか女の心は男から離れ、気付いたときはもう手遅れ、なんてことも多いかもしれない。
予想だにしない女の涙であっという間の幕切れ。そう、あじさいは雨の季節にしか咲かない。
科学的恋愛(アルバム「Ambivalence」収録)
偶然の産物。恋愛ではよくあるハナシである。あのときに車が故障していなければ、とか、あのときあんなに酔っていなければ、など、むやみやたらに「たら・れば」を想像しては喜んでいるカップルも世の中には多いことだろうと思う。
そういう思考っていうのは、恋愛をドラマティックに盛り上げるという点では効果があると思うし、僕自身も結構そういうのに酔っちゃう方なんで否定できないんだけど、それをあっさりと否定してしまっているのがこの歌。
要するに、恋愛のなかのすべての事象は必然であり、偶然なんてないらしい。まあ、そう書きたくなる気持ちもよくわかるんですね。だって、偶然を楽しむのと同時に、偶然を拠り所にして自分の傷を癒してしまう、うやむやにしてしまう、そういうこともよくあると思うんですね。それは、自分がそうしているときには、おそらく自己防衛本能でそういう思考に出ているから、気付かないけれども、これ、他人のそういう姿見たらたまらないですからね。それが自分の愛する人だったら、なおさら哀しいかもしれない。
ぶんせきは
KENTARO