「たかが愛」

中島みゆき 1996

T0P/ MUSIC ESSAY/KINKYO
GUESTBOOK/BACKNUMBERS


「魔女」中島みゆきは、悲しく、それでいて時にユーモラスな、またはホントーに手首切っちゃいそうな「愛」を一貫してうたってきている。それは、たいして中島みゆきを知らない人にとっても、なんとなく分かることだろうと思う。ここしばらくは、「愛」だの「恋」だの、ましてや「命」なんていう言ってみれば「重い」テーマを口外するしないにかかわらず掲げてアーティスト活動をするなんざ、ひとむかしもふたむかしも前の、オールド・ファッションなやり方になりつつある。しかし、そのやり方を維持できるかどうかって言うのが、かつてワカモノの音楽と呼ばれたニューミュージックを創るひとたちが、ファンと共に年をとっていって、中高年に愛されるアーティストになれるかどうかの鍵ともいえるのではないかと思う。

この「たかが愛」という唄は、1996年の作品で、「はぐれ刑事〜」のヴァリエーションである「はみ出し刑事情熱系」という、なんとも穴があったら入りたい系のドラマの主題歌としてリリースされ、はっきり言ってパッとしなかった。それはこれと同時だか直後だかにリリースされた「パラダイス・カフェ」というアルバムにも言えることで、僕はこのアルバム、結構好きなのだが、セールス的に芳しいものではなかった。つまり、単なる売れなかったシングル曲、である。

「たかが愛」しかしこの唄は、愛を唄ってきた中島みゆき自身への、中島みゆき自身によるアンサーソングとして、存在価値は高い。なんといっても「たかが」である。これまでの「愛」をうたった二十余年のアーティスト生活が「たかが」である。

この曲、各コーラスの冒頭、つまり「Aメロ」や「Bメロ」は忘れてしまってもいい。詞の内容がいいとか悪いとかではない。この曲には必要であって必要ではない。単なる穴埋めみたいなものである。サビだけで曲を作るわけにはいかないから、とりあえず当てはめてみた、そういう代物だと思って差し支えない。

何故にたかが愛に迷いそしてたかが愛に立ち止まらされても
捨ててしまえないものがまだあるの
僕はたかが愛に迷いそしてたかが愛に立ち止まらされても
捨ててしまえない たかが愛

このサビの四行は、無限ループである。唄を創ってゆく彼女の苦悩が見える、もっと言えば、この四行は二十余年の彼女の愛を唄うよろこびや苦しみが凝縮されている。中島みゆきをして「たかが」と言わせてしまう「愛」ってやつは一体どんなものなのか。分かったフリをして安直に愛を語る唄は数多いが、こういう唄を創ることが出来る下地をもって、中島みゆきが創る愛の唄は、そうした輩を足元にも寄せ付けないだろう。中島みゆき、やっぱり魔女である。



ぶんせきは
KENTARO